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三重県鈴鹿たこ焼き屋たこ虎を経営している、しろーです 

 先日すみへいのコーヒー飲みたくて四日市市上海老町へ行きました

その時話の中で旦那様の事を誉められたのに素直にそやろ?って言えず

そんな事ないよ…って心にもない事言いました

あぁまたやってしまった、と落ち込んだのです

いつになったら素直になれるんだ私は!あほたれやな

今から字に起こす事

そして語るのに

もの凄い勇気がいるというか

エロい事書くより怖いんだって思う私が居ます

大丈夫かな…って思うし嫌われるのが怖い

こんなに書くのが怖いとは…

そうだ!えぃって書いてしまおう(ひらるみ風)w

子供たちの母親をしていた時期を話すには

まず 私の高校時代を話さないといけない

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「いじめ」を経験した高校時代

私は高校1年の7月から3年の11月頃まで

いじめを経験しました

それは私の嘘が原因です

彼氏が居ないのに彼氏おるもん…みたいなアホな嘘を一言付いたがゆえに

私は高校時代を棒に振りました(戻れないけど戻りたいw)

高校が特殊な「体育科」だったため3年間クラス替えはなく1クラス

本当に壮絶ないじめで 苦痛で…孤独になり死にたいと初めて思いました

クラスで爆発的?にいじめが流行っていて次々と人を変えてはのいじめが

繰り返し3年間続きました

体育科とは↓

クラスに1人は運動神経の良い子居ますよね?

そんな子が集まった感じでプライドや頂点を取りたい

気が強い人たちが集まってました

(勿論、クラスのほとんどは全国レベルか東海大会に出場出来るような

人ばかりで素晴らしい成績を収めた人も居ます)

ちなみに私は水泳部バタフライの選手でした

                あ、かやまっちも水泳部だね

その中でずっといじめられて居た私はものすごく偏屈になり

いじめが怖くなり 高校を出たらいじめられない様にしなくては!

といつも思って生きてました

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高校を出た私は無敵だった

高校を卒業した私が思った事は

これだけの孤独に耐えれたら

1人なんてへっちゃらで

これ以上の苦しい事は世の中にはない!

私、今からの人生怖いものない

だから何でも凄い勢いで挑戦してたし

怖いもの知らずで人に好かれたくて一所懸命だった

公園デビュー

子供が産まれ1歳半だった23歳の私

転勤族だった荻野家は当時千葉県松戸市に引っ越しました

結構いいアパートへ引っ越しの挨拶を隣の方へした時

隣の家族には幼稚園に通う女の子が居ました

挨拶の時に発せられたのは

「関西弁がうつるので挨拶は結構ですお話も結構ですので…話しかけないで下さい」

え?と放心状態の私を残して扉は閉まりました

動き盛りの子供を公園に連れて行けば

公園が〇〇幼稚園に支配されており

その幼稚園の子しか遊べない…というかその子達が居ると

どの遊具も使えないのです

入れて~と言うと「お母さんが遊んじゃいけないっていうからだめ」と

「話したらダメと言われてる」と

そうその地域?がらか関西弁タブーだったのです

あぁこれが公園デビューか!凄い所に引っ越してきた私っ!

そのうち子供も雰囲気を察し公園に行きたがらなくなりました

遠く公園に時間をずらし皆がお昼寝をしている時間に行き遊ぶという…

幼稚園ママ

子供が幼稚園に入り

始めてママ友を経験しました

その当時旦那とは仲が良く近所でも手を繋いで歩いてたし

ゆうなればラブラブです💛隠しもしなかったし

旦那の事を聞かれれば良い事ばかりを言ってました

(今思えば軽くマウンティングしていたんだと思います)

そういうのを幼稚園ママに見られた事が仇となります

こんな些細な事で…

荻野さんは旦那さんと仲いいし

手を繋いでラブラブだからええよね~うちとは違って…みたいなのが

ほんの数日で幼稚園に広まり

「〇〇ちゃんママとは付き合えな~い」「〇〇ちゃんとは遊べな~い」

話が合わな~いとなってしまったのです

その時私はやってはいけない嘘を付く

 子供がいじめられる?こんな事で?

私またぼっちになる?嫌われる?そんな強迫観念にかられてました

だから

旦那に頼みました

「私明日から荻ちゃん(旦那)の悪口言ったり仲が悪いってママ友に言う事にする」

その方が都合がいい

「仲が良いと上手く行かなくて、だからごめんね」って

旦那は「そうなん?別にええよ」って…どんな気持ちだっただろう

要領よくやらなくっちゃ

嫌われるのはもう嫌

その時から旦那の話になると良い事は言わず

褒められても拒否し皆の意見に同意していったのです

ママ友は気持ちが悪いぐらいに

仲良くしてもらえて子供も遊べてホッとしていたのを覚えています

そりゃそうだ そういう発言をして同意していれば

よく似た人が周りに集まるもんね

どこへ行っても「〇〇ちゃんのお母さん」と束ねられ

私は個人ではなく大きな括りのお母さんとなったのです

そしてお母さんはこうあるべきという常識に縛られ

とても居心地が悪かった

この後何処に転勤しても要領よくお母さんをやり

ある程度同意し無難に過ごす

とても居心地が悪かった

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革でもなくソフトでもなくゴムバレーボール

大きな転機

それは娘が11歳、息子が6歳の時

当時私は仙台市宮城野区に引っ越しました

私はバレーが大好きになっていたので東北にある

ゴムバレーボール部へ入りました

古い歴史のあるバレー部で「ピュアーズ」と言います

お母さんとよく似た年の人も多く部の中でも最年少でしたw

私の言動や行動はスグに見透かされ

もっと素直になりなさい!もっと自分を出しなさい!

もっと主張しなさい!もっと自分を愛しなさい!

泣きたい時には泣きなさい!

自分が笑いたい時に笑いなさい!

やりたい事をもっと出しなさい!

「もっともっと、もっともっと」と。

どんな話をしても受け止めてもらえる

自分の話をしても良いんだって初めて思えたのです

そして始めて〇〇ちゃんのお母さんと呼ばれるのではなく

荻野友美を出しても良いんだよって言われたような気がしたのです

嫌う事もなく嫌われる事もなく

束ねる事もなく束ねられる事もなく

自分の好きを話していいのだと

もう自分を偽ったりするのは辞めよう

自分を嫌う人を探すのではなく

ありのままの自分を好きになってくれる人と関わっていこうって

そして自分を好きになろうって

だがしかしこれがまた

長年付いてきた旦那をディする

褒められても受け止めないという癖を付けてしまった私

今になっても抜けない抜けない( ;∀;)

だから今でもひょっこり顔を出して現れる

「ありがとう」を直ぐに言う

「そやろ」って言う事を癖付けよう

あ。旦那はフランケンシュタインの様に優しいです

今日も読んでくれてありがとうございます

今は大好きなたこ焼きを焼く事も出来てるし

大好きな家族と入れるしで最高です

letterpot.otogimachi.jp

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